ズデンコ・ベルデニック(ジェフ市原監督)「私が見る限り、日本では、ラインにこだわりすぎてフラットになる時間が長すぎる。もしくは、カバーリングに行くタイミングが遅れて、簡単に裏を取られるというチームが多い」

ベルデニック「当然、失敗はあります。でも、選手にはチャレンジして失敗する権利がありますから。「勇気をもって攻めろ」と言っています。失敗しても、妥協せずにきちっとボールを動かしたり、つないだりできるように、その点のトレーニングを徹底しています。そのなかで、少しずつ、創造性を見つけてほしいと思っているのです」

ベルデニック「日本は社会主義国家です。私も旧ユーゴという社会主義国家で育ち、生活をしサッカーをしてきたため、日本人の考え方はよくわかります。個人よりも集団を強調するのが社会主義国の特徴ですが、そうであればそこをベースにした指導をすればいいのです」「そこにはいい面と悪い面があるのです」

ベルデニック「日本でいい仕事をするために、また、チームがいい結果を出すためにはそのチームの雰囲気が大事です。チーム内をいい雰囲気に保ち、トレーニングを行い、試合に臨むことが、大切な条件。いい雰囲気を作るためには、もちろん勝つことが一番。勝つためには、選手やチームへの批判も必要です。間違いをきっちりと指摘するためですが、その前には必ず誉める。また、個人への指摘は、全体の前ではなく、個人的な話し合いのなかで指摘します。そこで理解してもらい、かつ、全体の雰囲気をいい状態で保つ。自分たちはいいサッカーをできるんだということを確信しながらプレーしていくために必要なことです。今シーズン最初に3連敗したときは、去年と同じ厳しいシーズンになるだろうなと思いましたが、その後、継続してやってきたことが開花し、今は自分が思っていた形になっています。一つひとつやってきたことが、複合的にうまく効果を生み出しています」

ベルデニック「当時、選手たちはサッカーそのものについて自信を持っていませんでした。ゲーム中も、練習中でさえも、一つひとつのプレーに自信がなく、何をやっても曖昧になるところがありましたね。また、マンツーマンが浸透しすぎたせいか、スペースの意識がまったくなかった。だから、誰がどのゾーンに入ってきたときに受け渡せばいいのかという全体の視野、全体のゲームを読む力というものが欠けていました」

ベルデニック「サッカーはチームスポーツですから、最終的にはそのチームのためにという気持ちが大事です。そういう意味では、日本人は簡単にその方向に向かってくれる。ただ、自分がシュートを外しても、決めても、責任を取るのは自分だという責任感がない。どうしても、他人になすりつけるとか、パスしてしまうとか、そういうところがあると思います」

ベルデニック「豪華なスタジアムばかりを造ることが理解できません。素晴らしいスタジアムがあるにもかかわらず、その地域にサッカーのチームがないというケースもあります。そのスタジアムは何のためにあるのか、どう機能しているのか、その費用は何だったのか――。子供たちがプレーするためには、そんな大きなスタジアムは必要ない。もっとシンプルなスタジアムやサッカー場を多く造った方が、多くの子供たちや一般の人々に還元できるでしょう。オランダを例にとると、シンプルなスタジアムが一つあって、その周りにはたくさんのサッカー場があります。そこで多くの人々がプレーできる環境が整っています。日本でも、高価で質の高い物を1つだけ造るのではなくて、もっとシンプルなものをたくさん造るべきだと思います」

2001.07.24
http://phpsoft.com/justice/verdenik/010724/01.html


チームのダイナモでもあり、心臓部とも言える君のような選手に注目が集まっている。これについてどう思う?

ダミアーノ・トンマージ(ローマ)「チームの成績がいいから、僕みたいな脇役の選手も注目されるようになったのでしょう」

君は自分自身のプレーをアピールする気持ちは全然ないのかな

トンマージ「自分をアピールする必要はないですよ。チームのために自分が機能していればそれでいいのですから」

ピッチ外での君の行動も評価されるべきだよ。コソヴォの小さな村にサッカー場を作る活動に協力し、その“こけら落とし”に出席するためにコソヴォに行った。そうした行為を他人から褒められることを誇りに感じないのかい?

トンマージ「正直言って、誇りに思うというより、少々、当惑していると言ったほうが正しいかもしれません。僕としては当然のことをしただけだと思っています。それを、特別なことをしたように言われるのは少々不愉快ですよ。コソヴォにはディ・フランチェスコと一緒に行きました。ただし、現地に滞在したのはわずか6時間ですよ。コソヴォでは、半年以上もの間、兵士やボランティアの人たちが平和のために毎日働いています。戦争は終わったが、街の明かりは消えたままで、そんな 中で彼らは毎日必死に奉仕活動をしているのです。そんな彼らの奉仕活動に光を当ててやったらいかがですか? 僕らはたった6時間の奉仕で褒め讃えられている。でも、彼らには、その100分の1の賛辞も与えられていないのです。今回のことは、僕自身、誇りというより、責任感でやったことです。サッカー選手の 行動がいかに人々の注目を浴びるか、それなりにわかっているつもりですから、僕は鏡になって、僕に浴びせられる注目をある方向に反射しようと考えました。 それがコソヴォだったのです」

君はサッカー界では珍しい兵役拒否者だね。兵役を拒否し、社会奉仕を選択した。カトリックのTV局でボランティア活動をしたんだよね。なぜ、兵役を拒否したの?

トンマージ「兵役を拒否するということは、暴力を拒否するということ。これが、僕の生き方です。大きい身体で、髪は縮れっ毛で、黒い髪が僕そのものであるのと同じように、僕が兵役を拒否するということは、僕の細胞そのものなのです。僕の生き方を尊重してもらいたい、ただそれだけのことです。ピッチの上でも、僕自身をさ らけ出すつもりでいます。自分を表現します。でも、他人の考えも尊重します。サッカーの世界でも僕は僕自身であろうと努めています。商品として見なされる ことには耐えられません。僕らは金を生み出す“商品”ではないのです」

君の理論をこのサッカー界で実践していくのは難しいんじゃないかな?

トンマージ「そんなことはありません。例えば、医者は神から人間の治癒という難題を与えられ、それに答えを出しているでしょう。あなたがたジャーナリストは真実と嘘を 見分けるという役割を担っています。そして、教師は知識と物の価値を教える役目を担っているのです。サッカー選手も同じこと。何かがあるはずです。金だけ ではありません」

君自身、サッカーの世界に何か君自身の“人生”を見出したのかい?

トンマージ「僕は“人生”を“時”という言葉で置き換えています。僕の言う“時”というの はプレーしたシーズンの数で表されるようなものではありません。僕にとっての “時”とはあくまでファミリーを単位にしたものです。僕が子供だった時、そして、今では、結婚して子供ができて……やがて、僕にも孫ができる、といったようにファミリーの中での自分を基準にしたものが“時”なのです。だから、 サッカーでの“時”、つまり、何年のシーズンといったものではありません。サッカーの“時”は人を裏切 ることがあります。例えば、もし、僕がケガをして、明日現役を引退することだってあり得るでしょう。でも、僕は落胆することもないだろうし、ましてや、“人生に失敗した”なんて考えることはないのです。サッカーを離れても、トンマージという人間が存在することをわかっていますからね。僕はヴェローナの下部組織でプレーしていたのですが、ジョヴァニーリ(17歳以下)では多くの友達が落後していきました。プリマヴェーラ、トップへ と上がったのはほんの一握りの選手でしたから。途中で“プロ不適格”と見なされた者の多くにとってはサッカーがすべてでした。だ から、サッカーで生きていけないということを、人生の失敗と考えてしまった。サッカーでの挫折が人生での挫折になってしまったのです。でも、僕にとって サッカーは人生の一部にすぎません。だから、仮に、明日引退することになっても嘆きはしないでしょう。僕にとって、これまでのサッカー人生がいい思い出になっているのですから、それで十分ですよ」

君のような人間にとって、スクデットを勝ち取るなんて表現はどのように響くんだろう?

トンマージ「正直に言いますよ。スクデットは僕にとって何としてでも手に入れたいというものではありません。もちろん、僕は、チームが勝利を収めるためにプレーしてい ます。ただ、僕にとって、勝利というのは別の意味合いを持っているのです。もっとわかりやすく言いましょう。スクデットを勝ち取るチームというのは、偉大 なグループなのです。特別なグループですよ。外部からの侵入を許さないだけの気密性の高いグループなのです。そういうグループだからこそ、勝利を収めるこ とができるのです。もし、勝利を収めたなら、それは、我々が偉大なグループを築き上げた証拠です。テクニックと人間性の価値が集結した結果が勝利なのです。偉大なグループを築き上げることが何よりも大切なことなのです。それが、サッカーにおける僕の目標です」

サッカーを通じて、君は様々な人種と接しただろうし、様々な宗教と出会ったはず。敬虔なカトリックの君の目に他の人種、他の宗教はどう映っているのだろうか?

トンマージ「僕自身、クリスチャンとして生まれたこと、カトリック教徒として育ったことに満足しています。だからといって、他の宗教を軽んじているということではあり ません。主キリストは「他を敬え」、「他の信ずることを敬え」と教えてくれています。それに、いつも思うのですが、世界の人口が約60億人。その中で、主 キリストを信じている人は10億人にすぎないのです。残りの50億人が間違った選択をしているなんて言えるわけはないでしょう。神に近づく方法はキリスト 教以外にもあるのだと、いつも思っています」

別の人種、別の宗教という意味では、君のチームメイト、ナカタについてどんな考えを持っているのかな?

トンマージ「彼の人間性、パーソナリティーというものはロッカールームで一緒に生活してみないとわからないですよ。新聞や雑誌にヒデのことが書かれているのを読むと、 「わかってないな」と思うことが多いですね。あなた方サッカージャーナリストにとって、興味の対象はあくまでサッカー選手としてのヒデなのです。ただ、ヒ デにとってはサッカーがすべてではないのです。いや、サッカーはヒデの人生にとってほんの一部分にすぎないのかもしれない。サッカーにしか興味を持てない 人はこうした側面を見逃してしまうのです」

バティストゥータに関しては?

トンマージ「彼は自分が何を欲しているか、はっきりと認識しているプレーヤーです。彼が望むこと、それは誰でもわかるでしょう。そう、ゴールです。彼にとって、ゴール =勝利なのです。ただ、彼がエゴイストでないことは彼と話せばすぐわかると思いますよ。「いかに素晴らしいドリブルをしても、それがゴールに結びつかない 限り無意味だ」というのが彼のゴール哲学です。「チームが一体となって初めてゴールが生まれる」ということを知っているプレーヤーなのです。すごい男ですよ」

君の話を聞いていると、チームメイトのプレースタイルから性格までわかる、という気になってしまうね。

トンマージ「友達の司祭がいつも言っていました。「プレー(遊び)にこそ、本性が現れるものだ」とね。プレーしていると抑制機能が麻痺して、本能が精神を支配するのです」

トンマージを「疲れを知らないだけでなく、ここにいて欲しいと思う場所に必ず顔を出す選手」と評した人がいたが、これは間違いではないね。

トンマージ「当たってますよ。つまり、僕はただのサッカー大好き人間だというだけのことです。灯りが消えてもサッカーをやめない子供みたいなものですよ」

text by Adriano GIORGI /2001
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