出典 http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/hs/84th/column/200602/at00007823.html

「クリエーティブサッカー」ができるまで
野洲高校、山本佳司監督インタビュー 第1回 

2006年02月18日

第84回全国高校選手権大会、全国48代表校の頂点に立ったのは「クリエーティブサッカー」を標ぼうする滋賀県の野洲高校だった。「高校サッ カーを変える」と豪語し、これまでロングボール主体だった高校サッカーに一大旋風を巻き起こした野洲高校。全校生徒397人の普通の県立高校を優勝に導い たのは、就任9年目の山本佳司監督。チームを日本一にまで成長させたその過程を語ってもらった
(インタビュー・構成:渡邊浩司 取材協力:小澤一郎 取材日:1月25日) 


■高校サッカーが変わるにはもっと時間がかかる

――「高校サッカーを変える」と言われて、優勝したわけですが、高校サッカーは変わったと思いますか? また、変わっていないとすれば、今後変わると思いますか


 変わったとは思わへんね。変わるには、もっと時間がかかるやろう。こういうサッカーに共感を持って、若い指導者がチャレンジせなあかんやろうね。だから、そういうことを目標にしたチームが今後勝ち進むか、うちが連覇していくかせんと、流れは変わっていかへんと思う。

――来年、ロングボール主体のチームが勝つと、一過性のものとしてとらえられてしまうと

 そういうこと。ただ、思うのは、静岡学園が初めてインパクトを与えた時(注:1977年に静岡学園は南米スタイルのサッカーで選手権で準優勝した)よりは、(動きは)加速はすると思う。みんな世界のサッカー見てるから。
 僕が言ってることはみんな分かると思う。ロナウジーニョがヒールキックしてるのに、高校サッカーでしたらあかん理由はないわけやから。そいういう選手になればいいわけやから。

――試合中にそういったミスで負けて、監督は怒ったりはしないのですか? 結果よりも育成ということなんでしょうか

  みんなが勘違いしているのは、例えばインサイドキックでミスして引っ掛けて負けるのと、それがヒールキックやからというのとは、なんら変わらへんというこ と。僕らはインサイドキックと同じレベルでヒールパスが出せるように、必死に練習してんねん。だから、(ミスしたのが)ヒールキックやったからとほかの人 は攻めたがるけど、そこの発想がちょっと違う。

――今年のチームは3−5−2ですけど、このシステムを選んだ理由は

  3−5−2はこのチームが初めて。3年前は4−5−1やったし。選手ありきやね。まず、センターバックにできるやつがおらへん。3バックみんな小さいや ろ。内野(貴志)みたいにしっかりしたやつがもう1人おったら……。ほんまは田中雄大はガンガン行かしたいねんけど。ボール動かすのは3−5−2でもええ かなと思うけどね。

――それは3−5−2の方がいいという考えなんでしょうか

 この子らにはマッチしやすいということ。両ワイドがいいから、両ワイドを中心にサイドアタックを効かせられる。
  最終的にこのシステムでこのメンバーにしたけど、国体の時(注:野洲からは11人が滋賀県選抜チームに選ばれた)は、楠神(順平)をトップ下にして平原 (研)をボランチにして、荒堀(謙次)が右のワイドだった。国体には、僕も帯同してて、田中を左のワイドにして、乾(貴士)を後半に残してた。この両ワイ ドがクロスをガンガン入れるし、金本(竜市)と平原がボランチでゲームを作って、楠神が2列目からドリブルでちょこちょこといくと。
 でもこれは、楠神を育てるためにそうした。中に入れてパスも出せるようにしておいて、最終的にはドリブラーで外に置いてと。乾ももっと中のプレーヤーなんやろうけど、今年のうちは外においてレシーバーとして育てておいて、新チームではトップ下をやらせようとか考えてね。

■結果が出えへんからといって、方向が変わるわけじゃない

――普段はどういう練習をしているんですか? 個人技を伸ばすというのは、ほかのチームとは違う内容なんでしょうか

 練習は特別なものは何もない。ドリブルトレーニングがあって、個人技とかスキルを伸ばすトレーニングをして、あとはミニゲームをやって、フルコートとか大きいゲームをやる。それだけ。2時間半。それ以上はせえへん。

――ディフェンスへの取り組みもほかの高校と大差はないのでしょうか

 ディフェンスだけを取り上げて練習することはないね。表裏一体なスポーツやから。ただ、テーマとしてディフェンスに主眼を置くことはある。

――後ろからつなぐサッカーは、一発勝負の大会ではリスクが高いですが、その難しさはどう思いますか

  そういうのはあるけど、結果は後から付いてくるもんやから。やり切れへん時もあるし、今回みたいにめちゃめちゃいい時もあるし。結果じゃなくて、人を育て るという目的があって、そのプロセスとして必要なことやから、しょうがない。結果が出えへんからといって、方向が変わるわけじゃない。

――選手を育成することがテーマであるということでしょうか

 でも、高校サッカーは勝たないと認めてもらえないし、それは別に分けて考えてない。育てて勝つ。いいサッカーをして勝つということ。

――実際、結果を求めたら、ロングボールのサッカーとつなぐサッカーのどちらが勝ちやすいと思いますか

  ロングボールを使って勝つためには、能力が高い子がいっぱいおらへんかったら無理やんか。プレッシャーを背負いながら、長いボールが簡単に出せるかという たらできひんもん。やっぱりすごい練習してて、すごい能力があるからできるのであって、能力が低い子やったら周りが速くサポートして、チョンチョンと預け てた方が絶対にボールなくさへん。

――では、ロングボール主体のサッカーをしている選手が野洲に入学していたら、クリエーティブなサッカーはできるのでしょうか

 できる。でも、野洲の子がロングボールのサッカーしてる学校で生き残れる可能性は少ないかもしれない。逆は難しいかも。だから、選ばれし者ができるサッカーやねん、ロングボールのサッカーは。

■野洲に赴任してきた時は部員が10数名だった

――監督は1997年に野洲に赴任されて、具体的にどういうことをして強くしていったのでしょうか

 来た時は部員が10数名で、中学でレギュラーやった子も1人とかいう状況やった。好きな時にミニゲームをやって上がるというように、毎日練習することもなかった。
 とりあえず、幽霊部員ばっかりやから、部員名簿を見て教室に行って「お前、サッカー部らしいやんか。練習やろうぜ」みたいにして何人か集めた。
 練習試合組んでも、(人が足りなくて)当日に試合できひんとかあって、家まで迎えに行って試合やったりしてた。

  それで、これじゃあかんと思って、次の年の新入部員の勧誘をしたね。メジャーな子は草津東の推薦とかに行く。この地区は湖南学区と言って、学区が野洲市止 まりになってて、野洲市の隣町からは野洲には来られへんようになっている。で、野洲の前には守山北があって、その前に草津東がある。選手は、みんなそこで 止まるねん。草津東に入らへん子は守山北に行って、野洲には選手は来なかった。

 そこで、地元で今の野洲クラブ(当時、野洲ジュニアユー ス)という中学生を対象にサッカースクールを始めた。当時は、中学校に専門的な指導者があまりいなくて、小学校まで頑張ってやってきた子が、中学校であま りサッカーをせえへん環境やった。それで、地元の小学校の指導者と協力して、始めた。

 それと同時に、近くの子を勧誘したんよね。G大阪 の1万ゴール決めた前田雅文もこの年に入ってきた。前田は野洲中学でやってて、中3の時にセゾンFC(テクニック重視の育成で有名な滋賀県のクラブ)に 行った。でも、ぜんぜん有名じゃなくて、中学の選抜にも入ってなかった。入ってたら、みんな知ってはるんやけど。
 前田は小学校のトレセンに来て たんやけど、めちゃめちゃドリブラーで、落とされてて不信な部分を持ってた。でも、僕は「お前は絶対にJリーガーになるから」と言ってて、「このおっさん 熱心やし、俺のこと分かってくれてるし行こうかな」という感じで野洲に来た。それから、野洲初のJリーガーになった田中大輔(注:高校卒業後、清水エスパ ルス入団。徳島ヴォルティスを経て今シーズン、FC岐阜に移籍)も同じ年の入学。彼らが来てへんかったら野洲の歴史はない。

 彼らは、次の年にオール1年生軍団と言われて、滋賀県でベスト4に入った。優勝した草津東に2−5ぐらいで負けたんやけど、途中まで2−2だった。最後バテてボトボトといったけど、「将来性あるぞ」と注目を集めた。
 次の年は決勝で草津東とやって、バックパスをミスって失点して1−2で負けたんやけど、支配率は圧倒的やった。その時の草津東は(選手権で)準優勝したメンバーやった。でも、うちの方が内容的に一方的な試合をした。それを見てたのが、3年前の卒業生たち。
 前田、田中はその年には負けたけど、田中がJリーグに行った。その頃に2年間ほどテレビに映って面白いサッカーしてたし、「野洲からもJリーグに行けるんや」と、引かれた若者が野洲に来た。それが3年前のメンバーで、彼らが全国大会に初出場してベスト8になった。
 その時は今ほどタレントがいなかったけど、終わった後の雑誌とか、テレビの決勝戦の後のエンディングで、「野洲は勝利よりも美しい創造性を見せた」とかテロップが出て、そういうサッカーを見たのが、今年の3年生やねん。

■うちに来る子はみんな野洲サッカーがしたい子

 その間、いろいろやったよ。例えば、みんなは認めへんかったけど前田はめっちゃええ選手やと分かってたから、育てるために2年生の夏に募金活動をして、2週間ちょっとの間、ブラジルのグレミオに単身ブラジル留学させた。
  でも、留学は金がかかる。だから、それ以外の遠征には連れていかんと、10万円だけ家で用意してもらった。でも、ブラジルまでの旅費だけでも30万くらい かかる。だから、商店街とかで募金活動してお金を集めて、留学させた。そういう試みをいろいろやって、ちょっとずつ来たわけ。
 野洲クラブでも選手が育ってきて、今年の先発メンバーには平石竜真、中川真吾、荒堀謙次、田中雄大と4人しかいないけど、毎年野洲クラブの子が大半を占めるようになった。3年前のチームもそう。
 今年は、前の子はセゾンFCの子で、後ろは野洲クラブみたいになってるけど。新チームはセゾンFC出身は乾だけ。ほとんどは野洲クラブとほかのクラブの子。地元で地道にやってきたことが役に立ってきている。

  3年前は中井昇吾(柏に入団後、水戸に期限付き移籍。2月18日時点では自由契約)らがいたけど、セゾンの子はよそにいったら成功する可能性が低い。うち に来た子はほとんどの子がつぶれずにそれなりの選手になっている。それは、いいところをよく理解しているということがある。中井なんかは、小さくて野洲以 外やったら成功できてないかもしれない。それでも、Jリーグまでいったから。そういう信頼があって、今の3年生は県外に出ずに、(滋賀県に)残った。それ までは毎年、県外に出ていた(選手の)流れが完全に止まった。

――攻撃的なサッカーをするには選手の質が大事だと思います。そのためにはいい選手を育てること、選手を取ることが大切ですが、選手を集めるための努力はされてますか

  いや、特には。ただ、こういうスタイルを貫いていれば、逆にこういうクリエーティブなサッカーをしたいという子がうちに来る。うちの選手はそういう子ら ばっかりやもん。基本的にボール持ちたい子が多いし。うちに来る子はほとんどがそういう子。野洲サッカーがしたいというね。